能登上布とは
神代から伝わる
最高級の麻織物
上布(じょうふ)とは上等な麻織物のことで、能登上布は日本の五大上布のひとつとされています。
約2000年前に崇神天皇の皇女が中能登地方で機織りを教えたことが能登上布の起源だと伝えられています。江戸時代に技術向上を続け発展し、明治時代皇室の献上品に選ばれるまでになりました。昭和初期の最盛期、織元の数は120軒以上になり麻織物の県生産量が日本一になり、石川県無形文化財の指定も受けます。しかし戦後のライフスタイルの変化とともに着物離れが進み、現在山崎麻織物工房が能登上布唯一の織元になりました。
原料の麻は一般的なリネンではなくラミー(苧麻)を使用。手織りの麻の素材感、能登独自の櫛押捺染やロール捺染と呼ばれる手染技術から生まれる緻密で凛とした経緯絣(たてよこがすり)、ひんやり涼しい風合い、「蝉の羽」のような透け感や軽さ、丈夫さ、シャリ感、光沢感、張り感が特徴。昔から夏の贅沢な日常着とされ、大人のお出かけ着として愉しめる最高級の夏着物です。今も昔ながらの手織りで職人が織り、能登の風土を映した落ち着いた伝統色柄や独自の凛とした絣模様は、日常に溶け込み現代的な雰囲気が魅力です。
能登上布の特徴
手織り
工房では昔から受け継いだ手法で手織りをし、丁寧な職人技から生まれる上質な織りの味わいを感じることができます。
機械織りにはない手織りの織り密度の粗さから生まれる透け感は「蝉の羽」とたとえられていて、手織りで織られることで布として軽く、機械織りには出せない手仕事がうみだす素材の美しさや織りの表情があります。
緻密で凛とした絣柄
他地方にはない能登独自手染の櫛押捺染、ロール捺染と呼ばれる職人技術から生まれる染めにじみが少なく緻密で、能登の風土を映したすっきりとした絣模様が能登上布の最大の特徴で、美しく凛とした佇まいです。絣柄の多くは幾何柄模様の十字絣を始めとする複雑な経緯絣で、たて絣糸とよこ絣糸をクロスさせて織ることで生まれます。さらにもっとも細かいたてよこ約3mmの十字絣は「蚊絣」と呼ばれ、それらで構成される独自の柄は伝統的ながら現代的で美しく、日常に溶け込む装いを愉しめます。職人の手仕事でつくられる絣ひとつひとつの表情も魅力です。
日常に溶け込む
落ち着いた伝統色柄
能登の風土を映したすっきりとした縞柄、落ち着いた色合いは日常に溶け込み、現代的な雰囲気が魅力。日常の男着物がルーツゆえの、時代を超えて飽きのこない伝統色柄です。
ひんやり涼しい夏のきもの
ラミーの特徴として、リネンより涼しくシャリ感や吸湿性があります。ラミーで作られた能登上布の夏着物は、浴衣より涼しく爽やかで軽やかです。能登上布を着て外を歩くと、着物から入る風が心地よく感じられ、上布にしかないひんやりとした感触と独特の着心地のよさを愉しめます。
上布ならではの特別な麻の質感
能登上布の原料である麻は、一般的なリネン(亜麻)ではなく、日本古来から使われてきたラミー(苧麻)を100%使用。
平織の上布ならではの、透け感・光沢感・張り感・軽やかさがある上質で美しい麻の素材感が魅力です。
また能登上布は最高級の素材ですが、紡績糸使用のため何十年も愛用できるほど丈夫で自宅でも洗え、美しい素材とともに気取らないラグジュアリーを愉しめます。洗えば洗うほど柔らかくなり感触が良くなるので、経年変化を慈しみながら、長くお使い頂けます。
能登の人と自然
能登は湿度が高いため麻糸が切れにくく、機織りに最適な土地で能登上布はつくられてきました。
冬は曇りや雨や雪が多いため厳しく、長く続きます。能登を表す言葉として有名な「能登はやさしや土までも」の言葉のとおり、厳しい自然のもとで暮らす能登の人々はひとむきで我慢強く粘り強く、その気質が能登上布の繊細で根気のいる工程を支えてきました。
また織元工房周辺は豊かな自然にかこまれ、自然と寄り添う能登独特のゆったりとした時間感覚のなかで生み出されるものづくりが行われています。そして色鮮やかではないが深みがある能登里山や日本海の自然や風土を映した落ち着いていてすっきりとした伝統色柄を持つ能登上布が生まれます。
上布と和の文化
上布は献上品や武家の裃にも用いられるなど歴史・文化に寄り添ってきた最高級の夏着物です。着ている人は夏の暑さを和らげ、蝉の羽ほど薄く透け感のある特徴から見る人には涼を感じさせる日本人特有の他者を慮る美意識を感じることができます。
能登上布の歴史
神代
BC1世紀〜AD4世紀頃
第10代崇神天皇の皇女・沼名木入比賣命が今の中能登・能登部に滞在した際に野生の真麻で糸を作り機織りを教えたとされ、これが能登上布の起源と言われている。中能登にある能登比咩神社には皇女・沼名木入比賣命が御祭神として祀られている。
能登比咩神社 由緒
(能登比咩神)太古大己貴命、少彦名命と共に天下を経営し越の八国を平け給う時此の地に至り国津神を求め給う、爰に機織乙女あり、命機殿に来たり御飯を語り給いければ乙女は稗粥と、どぶろくを進む、命甚く愛で生して永く吾苗裔と爲さむと宜り給う。此の乙女名を能登比咩神と稱へ奉る機棹を海中に投げ給いしに島が出来この島名は能登比咩織島又名は機貝島と云う。羽咋郡富来沖にあり。(沼名木入比賣命)人皇十代崇神天皇の皇女、沼名木入比賣命は皇兄大入杵令に隨いて当国の下向し此郷に駐り給う産土神能登比咩神の遺業を興し郷里の婦女に機織子業を教へ給う。 命此地に薨去し給いければ、里人御尊骸を後丘に葬り、神霊を祭祀し奉る。能登麻織物の御祀神と稱え奉り御神徳を仰ぎ奉る。(石川県神社庁公式HP より)
平安
794年~1185年頃
物納租税である”調””庸”に麻を生産していた記録がある。
鎌倉
1185年~1333年頃
東大寺に麻糸を納めた記録がある。
江戸
1688年~1703年頃
中能登で作られる良質の麻糸は近江上布の原糸として使用されていた。
1814年~1818年頃
加賀藩から助成を受け近江(滋賀県)より職工を招き、
染織技術を学ぶ。織りの技術が格段に向上。
1818年
初めて「能登」の文字を冠した「能登縮(ちぢみ)」が誕生。大坂等へ移出。
1850年代
以降加賀藩の保護を得て、能登部を中心に
問屋制家内工業として発展。
明治
1877年
頃能登整布会社設立、本格生産へ
1895年
第4回内国勧業博覧会に出品、三等賞受賞。
1904年
頃「能登上布」と正式に制定される。
1907年
皇太子殿下への献上品に選ばれる。
大正
1914年
能登麻織物同業組合を設立。
昭和
1928年
頃織元の数は120軒以上となり、最盛期を迎える。
生産量も年間約40万反となり、麻織物の生産量が
全国一となる。
1960年
石川県無形文化財に指定される。
1982年
織元が山崎麻織物工房ただ一軒となる。
1988年
織元が実質1軒のみとなったため能登麻織物協同組合が解散する。
平成
2005年
石川県より「いしかわの工芸・百選」にて
能登上布91通り紋絣が優秀賞を受賞
参考文献:「伝統織物」(西田谷功著)、「改訂羽咋市の文化財」(羽咋市文化財保護委員会編集)