Home > 能登上布とは – About NOTOJOFU > 能登上布の歴史 – History

能登上布とは – About NOTOJOFU

能登上布の歴史 – History

今では織元が一軒のみとなった能登上布は、
長い歴史を経糸に、現代を生きる職工たちの情熱を緯糸に
今日も織り続けられています。

神話の時代から

古くから麻とのつながりが深く、崇神天皇の皇女がこの地に滞在した際に野生の真麻で糸を作り、地元の婦女子に機織りを教えたことが能登上布の起源であると言われています。
また、東大寺へ麻糸を納めたという記録も残っており、麻を扱う技術は遥か古(いにしえ)の時代から先人達により伝承されて来ました。

麻糸から上布へ

麻との関わりは古いのですが、「能登上布」という名称は近年になるまで存在せず、江戸時代の初め頃まで、この地で作られる良質の麻糸は近江上布の原糸として使用されていました。その後独自で良質の織物を作ろうという気運が高まり、近江(滋賀県)より職工を招き、染織技術を学ぶことにより織の技術が格段に向上します。こうして文政元年に初めて「能登」の文字を冠した「能登縮(ちぢみ)」が誕生します。その後もたゆまぬ技術向上の努力が続けられ、明治四十年には皇太子殿下への献上品に選ばれるまでになります。この頃から全国に能登の麻織物の上質さが認められ、「能登上布」という名称が定着しました。「上布」は、麻織物の最高級品に贈られる称号です。能登上布は、能登の麻織物の長い歴史の中で先人たちの努力により培われた美の結晶といえるでしょう。

歴史を次の世代に

このようにして次第に上等な麻織物の産地として認められ、昭和初期には織元の数は百四十軒を数えるまでになりました。生産量も年間四十万反となり、当時の全国トップの座につきました。昭和三十五年には、 石川県無形文化財の指定も受けることになります。しかし、ライフスタイルの変化とともに着物離れが進み、織元の数が徐々に減り、昭和六十三年にはただ一軒となりながら、現在その最後の灯火を守る織元・山崎麻織物工房では、自らの選択で能登上布の世界へ飛び込んで来た県内外からの若者たちによって、伝統の技が継承されてきました。能登上布を次世代につなぐ力強い息吹が感じられます。